大正のはじめ、京都は四条の祇園町に、丹後家なる名の小さい甘いものやがありました。丹後出身の先代主人が若年より菓子職の経験を持ちその技術を歌舞伎忠臣蔵に因み甘党十二段の工夫をし供しましたところ、お客様から十二段目まで全部食べ終えた者はただになるというような面白いうわさも立ち、屋号もいつの間にか甘党の十二段が十二段家と変わってしまったようでございます。

また場所も廓に近く朝帰りの酔客があっさりしたお茶漬けで口直しをと望まれたまま有りあわせの浅漬けでご飯をお出ししましたところ、大変よろこばれて注文も日毎に増し、赤出しに季節のお漬物とりどりにご飯という簡単な献立が今日評判のお茶漬けのはじまりでございます。

やがて活魚を兵庫の明石の浜より朝ごと直接に引き、おあつらえの会席も整えるにいたり、大方のみなさまのご贔屓を得てまいりましたのが十二段家のお茶漬けでございます。

甘党十二段の献立

大序 「かぶと改め紋揃い」中入れ「幕の内」

 

 

二段目「本蔵の松切り」七段目「祇園一力の場」
三段目「顔世の文」八段目「道行き」
四段目「判官の切腹」九段目「虚無僧(本蔵)の尺八」
五段目「山崎街道闇に鉄砲二つ玉」十段目「天川屋の場面」
六段目「勘平の腹切り」十一段目「討入」
十二段目「引揚げ」

 

歌舞伎 忠臣蔵

大序  鶴が岡の段七段   一力の段

 

 

二段   桃井舘の段八段   道行旅路の嫁入り
三段   鎌倉御所の段九段   山科閑居の段
四段   扇ヶ谷上屋敷の段十段   天河屋の段
五段   山崎街道の段十一段  勢揃より引上の段
六段   与一兵衛住家の段十二段目「引揚げ」
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