大正のはじめ、京都は四条の祇園町に、丹後家なる名の小さい甘いものやがありました。丹後出身の先代主人が若年より菓子職の経験を持ちその技術を歌舞伎忠臣蔵に因み甘党十二段の工夫をし供しましたところ、お客様から十二段目まで全部食べ終えた者はただになるというような面白いうわさも立ち、屋号もいつの間にか甘党の十二段が十二段家と変わってしまったようでございます。
また場所も廓に近く朝帰りの酔客があっさりしたお茶漬けで口直しをと望まれたまま有りあわせの浅漬けでご飯をお出ししましたところ、大変よろこばれて注文も日毎に増し、赤出しに季節のお漬物とりどりにご飯という簡単な献立が今日評判のお茶漬けのはじまりでございます。
やがて活魚を兵庫の明石の浜より朝ごと直接に引き、おあつらえの会席も整えるにいたり、大方のみなさまのご贔屓を得てまいりましたのが十二段家のお茶漬けでございます。